群馬県高崎市出身。1951年8月27日生まれ。前橋工業高校〜中央大学〜阪神(74年ドラフト@)
後に第22代監督となる安藤統夫から背番号「9」を受け継ぐ。
外野手に本格的に転向した1977年4月29日に、川崎球場の大洋ホエールズ戦で飛球を追った際に、
レフトのコンクリートフェンスに頭部から激突。頭蓋骨骨折という重症を負い、生死の境をさまよったが、
そのような重症を追いながらもキャッチしたボールを離さなかったという執念はすさまじいものである。
また、佐野選手の打撃はフルスイングが魅力的であり、その逃げの無い気質はまさに上州人らしさを感じさせられる。
1981年には初代「勝利打点王」にも輝き、ここ一番での勝負強さは天下一品とも言われた。
1985年の日本一シーズンにはバース、掛布、岡田に続く脅威の6番打者として、チームの優勝に貢献。
そして、1989年に現役を引退。以後、球団のスカウトとして活躍され、現在に至っている。
現役通算1316安打はチーム歴代10位に記録されている。