【建造物の概要】
冨沢家住宅は、江戸時代に開かれた大道集落にある新田村の名主を務めた名家だった。
当時、越後から運ばれた米は、この冨沢家に荷をおろし、ここから吾妻郡の各地に運ばれた。
この住宅の建築年代は江戸時代の後期と推定され、家屋の形式は茅葺き・入母屋造り(間口23.97メートル、奥行12.95メートル)で、屋根の正面が「かぶと造り」の大型養蚕農家の代表的なものです。
内部は、1階が「土間」「座敷」「出居(いでい)」「上段」に仕切られ、「上段」は寝殿造りで吊り天井になっており、「土間」には四つの馬屋があります。2階は広く、養蚕に使われていました。
昭和51・52年度に、半解体修理を行ない、昭和61年3月、25代目当主冨沢清氏から中之条町に寄付されたものです。
【編集者のコメント】
現存する周辺地域の「榛名型民家」と異なり、総2階型の兜型屋根などから裕福な農家であったのではないかとうかがえる。
玄関を入ると、土間の桁行き、梁行き方向ともに四間の松のタイコ材による横架材により柱の無い30畳ほどの土間が広がっている。(写真)